栗原俊夫

栗原 俊夫(くりはら としお、1909年5月8日 - 1989年1月30日)は、日本政治家衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。妻は1932年ロサンゼルスオリンピック陸上競技80メートルハードルで出場した中西みち

経歴

群馬県多野郡小野村(現藤岡市)生まれ。旧制静岡高校を経て1932年京都帝国大学法学部を卒業。

小野村長、群馬県議会議員(2期)を歴任。1955年第27回衆議院議員総選挙日本社会党から立候補。当選を果たす。以後4期務める。1967年の第31回衆議院議員総選挙では次点で落選。

1974年第10回参議院議員通常選挙に出馬、当選。1期務め、参議院逓信委員長を経験。

産業振興審議会委員、日本社会党中央執行委員、全日農中央常任委員、全国日中友好協会副会長などを歴任した。

1979年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[1]

1989年1月30日死去、79歳。死没日をもって正四位に叙される[2]

脚注

  1. ^ "栗原 俊夫". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2022年12月28日閲覧
  2. ^ 『官報』第24号5-6頁 平成元年2月8日号

関連項目

  • 山口鶴男 - 同じ選挙区で社会党から立候補。栗原が左派を代表していたのに対し山口が右派を代表していた。
議会
先代
神沢浄
日本の旗 参議院逓信委員長
1977年 - 1978年
次代
赤桐操
群馬県の旗 旧群馬3区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) 国会議事堂
定数4
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
定数1
第21回以降)
奇数回
偶数回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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