西濃運輸硬式野球部

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西濃運輸硬式野球部
チーム名(通称) 西濃、西濃運輸
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1960年
チーム名の遍歴

  • 西濃運輸 (1960 - 1980 , 1984 - )
本拠地自治体

チームカラー 紺色
監督 佐伯尚治[1]
都市対抗野球大会
出場回数 40回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(1回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 4回
最近の出場 1973年
最高成績 ベスト8
社会人野球日本選手権大会
出場回数 19回
最近の出場 2023年
最高成績 準優勝
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

西濃運輸硬式野球部(せいのううんゆこうしきやきゅうぶ)は、岐阜県大垣市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。 運営母体は、運送会社西濃運輸

親会社をはじめとして、協力会社などで構成される「カンガルー会」や地元自治体の大垣市などからも支援を受けており、地域密着型チームの成功例としても知られる。

概要

1960年岐阜県大垣市に本社を置く西濃運輸の硬式野球部として創部。

1962年都市対抗野球と産業対抗に、1974年日本選手権にそれぞれ初出場を果たした。

都市対抗野球に3年連続で代表になれなかったため、1981年から1983年の3年間活動を休止した[2]

1994年都市対抗野球で史上初の東海勢対決となった決勝戦で本田技研鈴鹿に敗れ準優勝となった。

1996年日本選手権で決勝まで進出するが住友金属に敗れ準優勝となった。

2003年、同じ岐阜県に本拠地を置いていた昭和コンクリートが休部したことを受けて同部から7選手が移籍する。一時期は休廃部した社会人野球チームの選手の受け皿ともなっていた。

2014年都市対抗野球で初優勝を果たした。

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “西濃運輸監督に佐伯尚治氏「人生懸けまい進」社会人野球”. 岐阜新聞Web (2021年12月8日). 2022年1月25日閲覧。
  2. ^ “悲願の黒獅子旗 挫折乗り越え夢つかむ”. 岐阜新聞web (2016年12月30日). 2017年2月18日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • SEINO-SPORTS.com
  • 西濃運輸硬式野球部 (@seinobb) - X(旧Twitter)
1920年代
  • 1927 満州倶楽部
  • 1928 大連実業団
  • 1929 満州倶楽部
1930年代
  • 1930 東京倶楽部
  • 1931 東京倶楽部
  • 1932 全神戸
  • 1933 東京倶楽部
  • 1934 全大阪
  • 1935 東京倶楽部
  • 1936 門司鉄道局
  • 1937 八幡製鐵
  • 1938 藤倉電線
  • 1939 藤倉電線
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代