澄存
澄存(ちょうぞん/ちょうそん、天正8年(1580年) - 承応元年(1652年))は、安土桃山時代から江戸時代前期の僧侶。若王子大僧正と呼ばれた[1]。
概要
天正8年(1580年)に今川氏真の四男として生まれ、後に公家の中山親綱の猶子となった。聖護院門跡の道澄のもとで出家した。当初は澄興と名乗り、出家後澄存と名乗った[2]。慶長5年(1600年)に六角勝仙院(現在京都市左京区)の住持となり、また元和7年(1621年)には若王子乗々院の別当となり、熊野三山修験道本山の奉行を務めた[1]。
承応元年(1652年)に73歳で死去するが、墓は江戸時代の地誌『雍州府志』や名所図会『東山名勝図会』によると、若王子に今川氏真の墓と共に建てられていると紹介されている[2]。
脚注
- ^ a b 榮進舍出版部 1917, p. 539.
- ^ a b “修験道本山派のナンバー2・澄存(ちょうぞん)”. 2022年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月31日閲覧。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜第1輯』(榮進舍出版部 、1917年、539p)