木下利当

曖昧さ回避 木下俊愿」あるいは「木下俊懋」とは別人です。
 
凡例
木下利当
時代 江戸時代前期
生誕 慶長8年(1603年
死没 寛文元年12月28日(1662年2月16日
改名 熊之助(幼名)、利当
戒名 大光院殿剣峯宗利大居士
官位 従五位下淡路守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光家綱
備中足守藩
氏族 木下氏
父母 木下利房
兄弟 利当利次
木下延俊
利貞、永昌院、種、雪、瀬川正長
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木下 利当(きのした としまさ、旧字体:利當)は、備中国足守藩3代藩主。足守藩木下家3代。淡路流槍術(木下流槍術)の開祖。

略歴

第2代藩主・木下利房の長男。旗本木下利次の兄。正室は叔父木下延俊の娘。子に木下利貞瀬川正長、永昌院(関長盛正室)、種(杉原勝興正室)、雪(杉原勝興継室)。官位従五位下淡路守

慶長8年に生まれ、同18年(1613年)に駿府を訪れて徳川家康に拝謁する。元和3年(1617年)から江戸に出て将軍徳川秀忠に伺候するようになった。寛永3年(1626年)、将軍の上洛に供奉し、同年8月19日、従五位下・淡路守に叙任された。

寛永14年(1637年)の父の死去により、同年9月に家督を継ぐ。寛永19年(1642年)には仁和寺造営の奉行を務めている。

文武両道に優れ、特に槍術に関しては古今無双と呼ばれるほどの腕前で、その槍術は淡路流、または心流・木下流などの名で世に広まった。剣術でも小野家より小野派一刀流を学び、剣術書『一刀流剣術書』を著わしている。

寛文元年に59歳で死去した。法名を大光院殿剣峯宗利大居士。跡を長男の利貞が継いだ。

系譜

参考文献

  • 堀田正敦 編「国立国会図書館デジタルコレクション 木下氏」『寛政重修諸家譜。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577559/133 国立国会図書館デジタルコレクション 
木下家足守藩3代藩主 (1637年 - 1661年)
木下家
  • 木下家定 1601-1608
  • 木下勝俊木下利房 1608-1609
  • 遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易
浅野家

公儀御料(1613-1615)

木下家