ヴィージェイ・レコード

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Vee-Jay Records
親会社コンコード・ミュージック・グループ
設立1953年 (1953)
設立者Vivian Carter、James C. Bracken
ジャンルジャズブルース、ロック、R&B、ディスコ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
本社所在地シカゴイリノイ州

ヴィージェイ・レコード (Vee-Jay Records) は、1950年代から60年代にかけて存在したアメリカ合衆国レコードレーベルブルースR&B、ゴスペルなどの作品を主に扱ったが、提携関係にあったEMIビートルズの作品なども手がけた。

歴史

1953年、ヴィヴィアン・カーターとジェイムズ・ブラッケン (のちにブラッケン夫妻) によってインディアナ州ゲイリーに設立された。レーベル名は、2人のファースト・ネームの頭文字VJに由来している[1]

同年、R&Bボーカル・グループのスパニエルズ、ブルース・シンガーのジミー・リードのレコードを相次いで発売した。同年ゴスペル・グループのメイシオ・ウッズ・シンガーズとも契約をしている。

1954年、事務所をイリノイ州シカゴに移転。この後ジョン・リー・フッカー、エルドラドス、メンフィス・スリム、ザ・デルズ、ジーン・アリソンなどのレコードを発売し、ヒット曲を次々と輩出した。

1960年代に入るとヴィージェイはソウルポップ、ロックなどより幅広いアーティストの作品を取り扱うようになっていった。1961年には、グラディス・ナイト&ザ・ピップスのデビュー・シングル"Every Beat of My Heart"をリリース。ビルボード・ポップ・チャート第6位のヒットを記録している[2]

また、レーベル初の白人アーティストとなったフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズとも契約し、1962年に"Big Girls Don't Cry"がポップ・チャート、R&Bチャートともに1位に到達した[3]

同年、ヴィージェイはイギリスから登場した新人グループ、ビートルズアメリカ合衆国での権利を獲得。「ラヴ・ミー・ドゥ」や「プリーズ・プリーズ・ミー」などのシングルや『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』などの編集版アルバムを発売し、やがて巨額の収益を得ることとなった。この他、ヴィージェイはジェリー・バトラー、ディー・クラーク、ジーン・チャンドラー、リトル・リチャード等のレコードも手がけている。

ビートルズの作品の販売権はキャピトル・レコードに移管されたものの、ヴィージェイは彼らのレコードを販売し続けたため、キャピトルとの訴訟に発展した。[4]。同時期にロイヤルティの支払いのトラブルからフォー・シーズンズもレーベルを離れた。

ヴィージェイはカリフォルニア州ロサンゼルスに事務所を移転して新レーベルのトリー(Tollie)を設立するが、業績は下降線を辿った。1966年に倒産。翌年、ベティー・チアペッタが破産管財人からレーベルを買収し、ヴィージェイはヴィージェイ・インターナショナルとして復刻された[5]。その後は主に既存の作品の再発を手がけた。チアペッタは1990年に引退し、新経営者ダニエル・プリツカーの下で、レーベルはLLP (有限責任事業組合)形式に生まれ変わった[6]

参考文献

  1. ^ The Vee-Jay Story
  2. ^ Allmusic.com Gladys Knight & the Pips - Billboard singles
  3. ^ Allmusic.com The Four Seasons - Billboard singles
  4. ^ The Vee-Jay Story, Page 3 by Mike Callahan
  5. ^ The Vee-Jay International Story
  6. ^ The Vee-Jay Limited Partnership (1990 - ) by Mike Callahan

外部リンク

  • 公式サイト (英語)
  • Vee-Jay: The Early Years (英語)
  • The Vee-Jay Story by Mike Callahan & David Edwards (英語)
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