マーター・アムリターナンダマイー

マーター・アムリターナンダマイー
2010年5月13日撮影

マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィーサンスクリット語表記 माता अमृतानन्दमयी、マラヤーラム語表記 മാതാ അമൃതാനന്ദമയി - )シュリー・マーター・アムリタナンダマイ(幼名はスダーマニ・ イダーマネル;1953年9月27日生まれ)はアンマ(インドの言葉で母という意味)の愛称で知られるインドの霊性指導者・聖者であり、人道活動家である。[1][2]

信棒者たちからは「抱きしめる聖者 'ハギング・セイント' 」として敬われている。[3] また彼女はアムリタ大学(Amrita  Vishwa  Vidyapeetham)および複数の研究大学キャンパスの総長でもある。[4[1]]

2018年にはプラスチック廃止などを目指すインド政府による環境保護クリーン・インディア・キャンペーンにてスワッハ・バーラト・ミッションへの最大の貢献をしたとして、モディ首相から表彰される。彼女はヒンドゥー教議会により表彰されたヴィシュワラトナ プラスカール 賞(世界アワードの宝石) の最初の受賞者である [5]

人生

マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィー、またの名をアンマは南インドにあるパラヤカダヴという小さな漁村(その一部は現在のアムリタプリ)の貧しい家庭に生まれた。彼女はスグナナンダンとダマヤンティの3番目の子供だった。

幼い頃の家事のひとつは、家族が飼っていた牛やヤギの餌に近所の人たちから残飯をもらい集めてくることだった。その機会を通じて、当時の漁村の極度の貧困と苦しみを目の当たりにする。

そしてそのような人々に食べ物や衣服を自分の家から持ってきて与えるようになるが、貧しかった彼女の家族はそんな彼女を叱り、罰することもあった。

やがて次第にアンマは悲しみに暮れている人々を慰めるため、人々を抱きしめるようになった。両親が止めようとするも、彼女は人々を抱擁することを続けた。[8]

人々を抱きしめたいという彼女の想いについて、アンマ自身は、「それが男性であろうと女性であろうとその人と自分自身となんら違いを感じません。すべての創造物への絶え間ない愛の流れが内から沸き起こります。これは私の生まれ持った性質です。医者の義務は患者を治療することです。同じように、私の義務は苦しんでいる人々を慰めることです。[9]」とコメントしている。

アンマの両親は彼女を結婚させようと数々のお見合いを試みたが彼女は拒否した。[10]

1981年、アンマの弟子になることを求め、スピリチュアルな探求者たちがパラヤカダブにある両親の土地に住み始めのちにマーター・アムリタナンダマイー・マート(MAM)として知られる世界的な財団が設立された。[11]

アンマはなおも財団の会長を務め続けており、今日に至っては、マータ・アムリタナンダマイー・マート財団は、数多くのスピリチュアルな活動、そして非営利・慈善・人道支援活動に携わっている。[12]

1987年、信者の希望により、アンマは世界各国を訪れるプログラム、ワールドツアーを始め、以来毎年それを続けている。

日本との関わり

2011年の東日本大震災ではアンマは被災地を訪問し、被災者の救援と復興、特に両親を失った子どもたちの教育のために100万ドルを寄付している。この発表は品川ホテルのグランドボールルームで公開プログラムとして行われ宮城県知事代理として宮城県庁副長官の相馬啓樹氏が出席している。

日本へは2024年時点で30回目のワールドツアー来日プログラムが予定されている。

国際イベントとの関わり

  • 1993年 世界宗教会議(英語: Parliament of the World's Religions100周年記念でのスピーチ シカゴ
  • 1995年 インターフェイス祝賀式典での講演 国連50周年 ニューヨーク
  • 2000年 ミレニアム世界平和サミットでの講演 国連総会 ニューヨーク
  • 2002年 Global Peace Initiative of Women 創立記念式典での基調講演 国連大会議場 ジュネーブ
  • 2002年 World Movement for Nonviolence より「ガンジー・キング平和賞」を受賞 国連大会議場 ジュネーブ
  • 2004年 世界宗教会議に出席 バルセロナ
  • 2006年 ジェームス・パークス・モートン・インターフェイス賞を受賞 ニューヨーク

国際会議参加・受賞歴

1993年、シカゴで開催された世界宗教会議にヒンドゥー教代表の一人として招かれた。

2002年10月、スイスのジュネーブで開催された Global Peace Initiative of Women において基調講演を行った。この講演に先立ち、2000年8月に開催された国連ミレニアム世界平和サミットでも講演している。

2002年、ジュネーブの国連大会議場で、World Movement for Nonviolence はアンマにガンジー・キング賞を授与した。この賞は、彼女が生涯にわたり推し進めてきた非暴力主義による活動を讃えたものである。同賞の前年までの受賞者は、第7代国連事務総長を務めたコフィー・アナン、前南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラ、霊長類研究者のジェーン・グドールの3名である。

2006年、ニューヨークのインターフェイス・センターで第4回ジェームス・パークス・モートン・インターフェイス賞の授与式が行われ、アンマがその栄誉に輝いた。インターフェイス賞は、社会的かつ文化的なプログラムを通じて、平和、異宗教間の相互理解と行動を促進する使命を果たした世界的な指導者に対して、年に一度授与される。これまでに、ビル・クリントンダライ・ラマモハメド・エルバラダイシーリーン・エバーディーデズモンド・ツツ、インドの有名な音楽家であるラヴィ・シャンカールなどが受賞している。

2007年10月、パリで開催された国際映画祭「シネマ・ヴェリテ国際ランデブー」において、アンマの人道的活動に対してシネマ・ヴェリテ賞が授与された。女優シャロン・ストーンがアンマを紹介し、アンマに賞を手渡した。

2008年3月、インドのジャイプール(ラージャスターン州)において Global Peace Initiative of Women による国際会議「世界全体の利益のために女性が進むべき道」が開催され、アンマが基調講演を行った。

高弟

マーター・アムリターナンダマイーの元に最初の弟子たちが集まってきたのは、1970年代の終わりだった。今日では、他の弟子や帰依者たちも加わり、最初の弟子たちと共にアシュラムの多様な活動を支えている。アンマのイニシエーションを受けて最初の出家者となったのは、スワーミ・アムリタスワルーパーナンダである。他の高弟は、スワーミ・パラマートマーナンダ、スワーミ・ラーマクリシュナーナンダ、スワーミ・プールナアムリターナンダ、スワーミ・トゥリヤームリターナンダ、スワーミ・アムリタートマーナンダ、スワーミ・プラナヴァアムリターナンダ、スワーミニ・アートマプラーナ、スワーミニ・クリシュナームリタプラーナである。マーター・アムリターナンダマイー・マート(以降MAマートと表記)の名前で知られるアンマのアシュラムは、インドのアムリタプリにある。インド国外のアシュラムとしては、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンラモンにあるMAセンターがあげられる。日本のアシュラムは東京都稲城市にあり、フランスのアシュラムはパリの郊外にある。

ダルシャン

マーター・アムリターナンダマイーは「抱きしめる聖者」として世界中の報道関係者に知られている。彼女は近づく人たちを一人残らず抱きしめる。インドでは1日に5万人以上の人が彼女の抱擁を求めて集まり、全員を抱擁するために時には24時間以上も座り続けることがある。彼女は過去30年間の間に、少なくとも2千8百万人の人々を抱擁したと言われている。

マーター・アムリターナンダマイーの人生を描いた映画『ダルシャン - 抱擁』は2005年カンヌ映画祭の特別招待作品に選出された。国際映画賞を受賞した映像作家のヤン・クーネンが監督した。ヤン・クーネン監督はオランダ生まれで、現在はフランスをベースに活動している。プロデューサーはフランス人のマニュエル・デ・ラ・ロシュである。ヤン・クーネン監督と製作スタッフは、2003年にコーチで開催されたマーター・アムリターナンダマイー生誕50年を祝う「アムリタワルシャム」のイベントから撮影を開始した。撮影チームは、映画の完成までアンマと共に旅を続け、インドおよび世界各国で行われるツアーをフィルムに収めた。クーネン監督は、次のように語っている。「この企画に関わって撮影を開始したとき、私は『アンマは善良な人で、良い事を行っている。お返しに何か彼女のためになることをしてあげよう』と考えていました。しかし、撮影が進むにつれて贈り物をもらったのは私の方だと気が付きました。」

人道的活動

MAマートのホームページには、この組織が行っている様々な慈善活動や人道的活動が紹介されている。一例を挙げると、貧しい人たちのための住宅10万戸の建設、病院、孤児院、ホスピス、女性のための避難所、寡婦に対する扶助金の支払い、地域助成センター、高齢者のためのケアーホーム、眼科クリニック、言語聴覚療法などである。また、アメリカ合衆国ではアンマのセンターの多くが「マザーズ・キッチン」や「菜食スープ・キッチン」の活動を展開しており、ボランティアたちが調理した食物を貧しい人々に配布している。アンマの慈善活動を見習う日本のNPO法人は2年以上にわたって新宿中央公園で炊き出しを行った。

アムリタプリのMAマートは、インド国内で学校100校、寺院20箇所、コーチにある先端医療の専門病院などを運営している。また、調理場で毎回何千人分もの食事を賄っている他、毎年1万5千人の寡婦たちに扶助金を支給し、家の無い人のために年間およそ2万5千軒の住居を建設し、アンマのメッセージを広めるために、世界35箇所でアンマの福祉センターを運営している。

2004年、MAマートはインド洋津波の被災者援助のために1億ルピー(約24億円)の救援金を贈ると発表した。救援活動の2年目を終える2006年末までに、支援総額は当初予算の倍にあたる4600万USドル(約46億円)に達した。MAマートによる救援活動は、ケーララ州タミル・ナードゥ州ポンディシェリアンダマン・ニコバル諸島スリランカの各地で行われ、現在も続いている。

2005年9月、アンマはブッシュ前大統領とクリントン前大統領によって開設されたハリケーン・カタリーナ基金に100万ドル(約1億1千万円)を寄付した。また、被災者たちに必要な援助は何かを調査するために、災害の直後に側近を被災地に派遣した。

2005年10月、カシミール・パキスタン大地震では、数千枚の毛布を被災地に送り、生存者たちに配布した。

出版物

『マートルヴァーニ』は、アンマの宗教的・人道的な活動および帰依者からの話題を掲載した月刊誌である。出版元はアムリタプリのアシュラムで、初刊が出版されたのは1984年。マラヤーラム語タミル語カンナダ語テルグ語マラーティー語グジャラート語ベンガル語ヒンディー語などインド各地の言語と、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、フィンランド語、スペイン語、日本語で出版されている。マートルヴァーニの他に、英語の国際誌『Immortal Bliss(永遠の至福)』が年4回発行されている。

アンマの言葉

「人間がお互いの中に自己を見出し認識できるようになったとき、初めて本当の平和が訪れます。」

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、マーター・アムリターナンダマイーに関連するカテゴリがあります。
  • アムリタプリ・アシュラム公式サイト
  • 日本MAセンター公式サイト
  • アメリカのMAセンター公式サイト
  • ヨーロッパのMAセンター公式サイト
  • アンマの慈善プロジェクト 『エンブレイシング・ザ・ワールド』 公式サイト
  • アンマの慈善プロジェクト "Embracing the World" 公式サイト(英語)
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • フランス
  • BnF data
  • カタルーニャ
  • ドイツ
  • イスラエル
  • フィンランド
  • アメリカ
  • 日本
  • チェコ
  • オランダ
芸術家
  • MusicBrainz
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • IdRef
  1. ^ (英語) Mata Amritanandamayi, (2024-05-31), https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Mata_Amritanandamayi&oldid=1226590717 2024年6月14日閲覧。