ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ

ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
ジェームス・チャンス(1981年)
基本情報
別名
  • コントーションズ
  • ジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル
活動期間 1977年 - 2016年
レーベル ZEレコード
旧メンバー
  • ジェームス・チャンス
  • ジョージ・スコット III
  • アデル・バーティ
  • ジョディ・ハリス
  • パット・プレイス
  • パトリック・ジョフロイス
  • リッチー・ハリソン
  • チコ・ヒゲ
  • ドン・クリステンセン
  • フレッド・ウェルズ
  • ロレンツォ・ワイシュ
  • スティーヴン・クレイマー

ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズJames Chance and the Contortions)は、ジェームス・チャンスが中心となって結成された、アメリカ合衆国のバンド。コントーションズジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックスJames White and the Blacks)名義でも活動(ジェームス・ホワイトはジェームス・チャンスの別名義)。

概要

ウィスコンシン州からニューヨーク州に移住したジェームス・チャンスが中心となって、1977年に結成。ニューヨークのライブハウス「アーティスト・スペース」でDNAやマーズらとライブを行っていたが、そのライブではチャンスは観客席に度々降りていき、客を殴りつけていた[2]。そのライブを見たブライアン・イーノの提案によって、ノー・ウェイヴのコンピレーション・アルバム『ノー・ニューヨーク』に参加することとなった。その後1979年に、コントーションズ名義で『バイ』をリリースしたが、このアルバムにはジェームス・チャンスの名前はクレジットされていない。『バイ』がリリースされる前にジェームス・チャンスと他のメンバーとの間には摩擦が生じ始め、チャンスはジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス名義の新プロジェクトを進めて、アルバムをリリースした。またチャンスとマネージャーのアニヤ・フィリップス (en) はコントーションズのオリジナル・メンバーに度々批判を浴びせていたため、メンバーは頻繁に変わった。

活動は1980年代前半から休止していたが、2001年頃からオリジナル・メンバーで期間限定の再結成を果たし、「All Tomorrow's Parties」という音楽フェスに2度参加した。

ディスコグラフィ

アルバム

  • ノー・ニューヨーク』 - No New York (1978年) ※コンピレーション。他にティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス、DNA、マーズが参加。
  • 『バイ』 - Buy (1979年) ※コントーションズ名義
  • 『ライヴ・イン・パリ1980』 - Paris 1980 Live Aux Bains Douches (1980年)
  • Live in New York (1981年)
  • 『ソウル・エクソシズム』 - Soul Exorcism (1991年)
  • Lost Chance (1995年)
  • Molotov Cocktail Lounge (1996年)
  • Incorrigible! (2011年)
  • The Flesh is Weak (2016年)

脚注

  1. ^ a b c The Contortions Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年5月22日閲覧。
  2. ^ 『アフター・アワーズ』(2001) p.38

参考文献

  • 『アフター・アワーズ #15 SPECIAL ISSUE』After Hours、2001年。 
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