グレッグ・バレンタイン

グレッグ・バレンタイン
グレッグ・バレンタインの画像
2008年
プロフィール
リングネーム グレッグ "ザ・ハンマー" バレンタイン
ジョニー・バレンタイン・ジュニア
ジョニー・ファーゴ
ベビーフェイス・ネルソン
ブルー・ナイト
本名 グレゴリー・ウィスニスキー
ニックネーム ザ・ハンマー
金髪の爆撃機
身長 183cm
体重 113kg(全盛期)
誕生日 (1951-09-20) 1951年9月20日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントン州の旗 ワシントン州
キング郡シアトル
トレーナー ジョニー・バレンタイン
スチュ・ハート
ザ・シーク
デビュー 1970年
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グレッグ・バレンタインGreg Valentine、本名:Jonathan Anthony Wisniski1951年9月20日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーワシントン州シアトル出身。

「金髪の妖鬼」の異名で呼ばれたジョニー・バレンタインの息子で、父親譲りの強烈なエルボー攻撃から、ザ・ハンマーThe Hammer)のニックネームを持つ[1]

父親と比べると小柄ではあったが、ヒールのメインイベンターとしてNWAの主要テリトリーやWWF(現:WWE)などのメジャー団体で実績を築いた[2]

来歴

学生時代にアルバイトとしてリングに上がった経験を持つ[2]1970年カルガリースチュ・ハートの門下生となり本格的にプロレスを学び、同年7月にアンジェロ・モスカを相手にデビュー(5分ほどで敗退)。その後ザ・シークの元でもトレーニングを受けている。

若手時代はベビーフェイス・ネルソンBaby Face Nelson)やジョニー・ファーゴJohnny Fargo)などのリングネームを名乗り、AWA傘下のローカル・エリアやNWFテキサスのアマリロ地区などで試合をしていた。NWFではドン・ファーゴとのファビュラス・ファーゴズThe Fabulous Fargos)として[1]1972年5月11日にドミニク・デヌーチ&トニー・パリシのイタリアン・コネクションからNWF世界タッグ王座を奪取している[3]

1974年からエディ・グラハムの主宰するNWAフロリダ地区に移り、当初はジョニー・バレンタイン・ジュニアJohnny Valentine, Jr.)、後にグレッグ・バレンタインGreg Valentine)の名前で活動する。当時、父親のジョニー・バレンタインはまだ現役選手として第一線で活躍しており、父の意向から息子ではなく「弟」と称していた(息子がデビューするほどの年齢であることが公になると、自分の商品価値が下がってしまうとジョニーが懸念したため[4])。

1975年2月14日、ロサンゼルスオリンピック・オーディトリアムエドワード・カーペンティアからNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取して注目を浴び[2]、4月25日には当時ジャック・ブリスコの保持していたNWA世界ヘビー級王座に初挑戦した[5]

同年10月、父ジョニーやリック・フレアーが乗ったセスナ機が墜落するという事故が起きる。この時の怪我でジョニーは引退[6]。この事故後にグレッグはジョニー・バレンタインの息子であるということを公表し、1976年よりジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区を主戦場とする[1]。父のパートナーでもあったフレアーとの金髪コンビで同地区認定のタッグ王座を何度となく獲得し、次代を担うヒールとして期待された[4]

1978年12月より、ビンス・マクマホン・シニア時代のWWFに登場。1979年2月19日と3月26日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に連続挑戦(初戦では60分時間切れ引き分け)[7]、メインイベンターの地位を確立した[4]1983年まではWWFとNWAを行き来しながら試合をしており、NWAではフレアーやワフー・マクダニエルロディ・パイパーディック・スレーターらと抗争を展開し、USヘビー級王座(後のWCW・US王座、現在のWWE・US王座)を3回に渡って獲得するなどトップ戦線で活躍した[8]

ホンキー・トンク・マン(後方)とのタッグチーム、リズム&ブルース

1984年より、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を開始していたWWFに定着[9]ハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦する一方、ティト・サンタナインターコンチネンタル・ヘビー級王座を巡り名勝負を繰り広げる(1984年9月24日にサンタナを破り王座を獲得後、ジミー・スヌーカジャンクヤード・ドッグイワン・プトスキートニー・アトラスサージェント・スローターリッキー・スティムボートバリー・ウインダムらの挑戦を退け、翌年7月6日にサンタナに奪還されるまで戴冠していた)[10]

1985年からはジョニー・バリアントをマネージャーに迎え、ブルータス・ビーフケーキとのドリーム・チームThe Dream Team)で活動[1]。8月24日にウインダム&マイク・ロトンドUSエクスプレスからWWF世界タッグ王座を奪取し、1986年4月7日のレッスルマニア2において、ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスブリティッシュ・ブルドッグスに敗れるまで戴冠した[11]。ビーフケーキとの仲間割れ後はディノ・ブラボーを新パートナーにドリーム・チームを再編している[1]。その後はジミー・ハートがマネージャーとなり、1988年3月27日のレッスルマニアIVでは、空位となっていたWWF世界ヘビー級王座の新王者決定トーナメントに出場。1回戦ではNWA時代からの宿敵スティムボートを破ったが、2回戦でランディ・サベージに敗退した[12]1989年にはホンキー・トンク・マンリズム&ブルースRhythm and Blues)を結成し、ブレット・ハート&ジム・ナイドハートハート・ファウンデーションなどと抗争した[1]

1991年のWWF離脱後はWCWに参戦。1992年2月17日、テリー・テイラーと組んでロン・シモンズ&ビッグ・ジョッシュからUSタッグ王座を奪取している[13]プエルトリコのWWCにも参戦して、1993年8月8日にトーナメント決勝でインベーダー1号を破り、前王者カルロス・コロンの引退で空位となっていたユニバーサル・ヘビー級王座を獲得した[14]

セミリタイア後の2000年代もインディー団体への出場を続け、2004年WWE殿堂に迎えられた(インダクターはジミー・ハート)[1]2008年3月31日には、WWE・RAWにて行われたフレアーの引退セレモニーに出席した[15]

日本での活動

1975年5月、新日本プロレスに初来日[2]。以降も新日本には度々参戦して、再来日時の同年12月4日にはイワン・コロフと組んでアントニオ猪木&坂口征二北米タッグ王座に挑戦した[16]。同王座には1979年11月16日にも、マサ斎藤とのコンビで新王者チームの坂口&長州力に挑戦している[17]。同年12月4日には大阪府立体育館にて、藤波辰巳が保持していたWWFジュニアヘビー級王座に体重を減らして挑戦、好勝負を展開した[18]

1984年9月にはWWFインターコンチネンタル・ヘビー級王者として新日本プロレスに来日し、ノンタイトル戦ながら当時WWFインターナショナル・ヘビー級王者であった藤波とのインター王者同士の対戦が実現している(結果は逆さ押さえ込みで藤波の勝利)[19]1990年代日米レスリングサミットSWSバトラーツ、初期の大日本プロレスなどにも来日しており、1990年4月13日の日米レスリングサミットではザ・グレート・カブキとシングルマッチで対戦した[20]

得意技

獲得タイトル

ブルータス・ビーフケーキ(右)と組んでのWWF世界タッグ王者時代(1985年)
アメリカン・レスリング・アソシエーション
  • AWA中西部タッグ王座:1回(w / ジェリー・ミラー)[21]
ナショナル・レスリング・フェデレーション
  • NWF世界タッグ王座:2回(w / ドン・ファーゴ)[3]
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ドン・ファーゴ)[22]
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:2回[23]
  • NWAビート・ザ・チャンプTV王座:2回[24]
NWAトライステート
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
メープル・リーフ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション / ワールド・レスリング・エンターテインメント
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCカリビアン・ヘビー級王座:1回[33]
  • WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回[14]
インディー
  • NWA北米ヘビー級王座:1回(1994年にダラスで新設されたインディー団体のタイトル)
  • IWCCWヘビー級王座:1回
  • AWFタッグ王座:1回(w / トミー・リッチ[1]

マネージャー

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i “Greg Valentine”. Online World of Wrestling. 2024年5月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 週刊ゴング増刊『THE WRESTLER BEST1000』P188(1996年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b “NWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  4. ^ a b c 月刊ゴング増刊『THE WRESTLER BEST100』P229(1981年、日本スポーツ出版社)
  5. ^ “Show @ Los Angeles 1975/04/25”. Wrestlingdata.com. 2024年5月21日閲覧。
  6. ^ “Johnny Valentine”. Online World of Wrestling. 2024年5月21日閲覧。
  7. ^ “WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2024年5月21日閲覧。
  8. ^ a b “NWA United States Heavyweight Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月29日閲覧。
  9. ^ “The WWE matches fought by Greg Valentine in 1984”. Wrestlingdata.com. 2024年5月21日閲覧。
  10. ^ a b “WWE Intercontinental Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  11. ^ a b “WWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  12. ^ “WWF WrestleMania IV "What The World Is Watching"”. Cagematch.net. 2024年5月21日閲覧。
  13. ^ a b “WCW United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月29日閲覧。
  14. ^ a b “WWC Universal Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  15. ^ “WWE Raw Results: March 31, 2008”. Online World of Wrestling. 2024年5月21日閲覧。
  16. ^ “NJPW Toukon Series II 1975 - Tag 34”. Cagematch.net. 2024年5月21日閲覧。
  17. ^ “坂口征二公認ファンクラブ荒鷲【北米タッグ戦史】”. Facebook.com. 2024年5月21日閲覧。
  18. ^ “NJPW Toukon Series 1979 - Tag 33”. Cagematch.net. 2024年5月21日閲覧。
  19. ^ “The NJPW matches fought by Greg Valentine in 1984”. Wrestlingdata.com. 2024年5月21日閲覧。
  20. ^ “WWF/AJPW/NJPW Wrestling Summit”. Cagematch.net. 2024年5月21日閲覧。
  21. ^ “AWA Midwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  22. ^ “NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  23. ^ “NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  24. ^ “Beat the Champ Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  25. ^ “NWA United States Tag Team Title [Mid-South/Tri-State]”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  26. ^ “NWA World Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  27. ^ “NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  28. ^ “NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  29. ^ “NWA Mid-Atlantic Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  30. ^ “NWA Canadian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。
  31. ^ “History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2024年5月21日閲覧。
  32. ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2015年3月29日閲覧。
  33. ^ “WWC Caribbean Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月21日閲覧。

外部リンク

  • WWE Hall of Fame
  • Online World of Wrestling
  • グレッグ・バレンタインのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database
  • Mid-Atlantic Gateway Interview
MACW/JCP
WCW
WWF/WWE
 
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